想像力の話
みなさんこんにちは。
説明会の待ち時間が長すぎて暇なので
駄文を書きたいと思います。
説明会はどこも都会で開催されるので
落ち着く場所が全然ないんですよね。
【閑話休題】
今回は「想像力」についてのメモです。
というかまず、想像力ってなんなのでしょう。
想像力(そうぞうりょく、英語: imagination、フランス語: imagination) 心的な像、感覚や概念を、それらが視力、聴力または他の感覚を通して認められないときに、作り出す能力である。想像力は、経験に意味を、知識に理解を提供する助けとなり、人間が物事や現象を理解するための基本的な能力の一つである。また、学習の過程においても補完的な役割を果たす。
〈Wikipedia より参照〉
普段何となく使っていそうな言葉ですが、
定義を調べてみると少し難しそうな感じがしますね。
【自身が経験していない事象を
想像して補完する力】
みたいなものでいいのでしょうか。
この想像力が、足りない人が多いなぁと、
最近良く思うようになりました。
(書き方的に凄く傲慢にも聞こえますね、、)
例えば、児童虐待やいじめのニュースが最近頻繁に流れてきますよね。
被害にあった方々の様子を見聞きすると
非常に居た堪れません。
勿論、虐待やいじめは許されるものではないし、した本人や親を擁護するつもりもありません。
しかし、それを強烈にバッシングしている人達は、一旦落ち着いて考えてみるべきだと思うのです。
「どうして事件が起こったのだろう」と。
ニュースからは、「虐待が起こった。」「学校でいじめがあった。」
という【事実】しか知ることが出来ません。
どうして事件が起きたのか、その背景には何があったのか、何がトリガーになってしまったのか。
そのような【真実】を知ることは難しいです。
しかし、ネット等でよく見かける意見の多くは、「いじめをする奴はゴミだ。」「虐待した奴は死刑にしろ。」などなど、非常に感情的なものです。
気持ちはとてもよくわかりますし、そういう感情も必要かもしれません。
ですが、感情論で世間が動くのはマズイですよね。
衆愚政治のはじまりです。
⬇︎私が好む村上春樹さんの作品より。
「僕がそれよりもさらにうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めてふさいでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ」 ―海辺のカフカ(上)
— 村上春樹bot (@bot_M_Haruki) August 30, 2016
何に対してもですが、1方向からの視点で物事を見るのではなく、背景にある「何か」を見ようとする姿勢が大事なのではないかと個人的には思います。
だから私は、総じて「過激な人」が好きではないです。過激で情熱が止まらない人は、引くことを知らないですからね。
色んなことに対して、
「引くこと覚えろks」ということです。←過激派
もっと色々書きたいですが、その続きは私自身色々と「想像」して楽しもうと思っています。
みたいな感じで、暇を潰しているともうすぐバス停に着きそうです。
それではまた。