ラムダ物語

思いついたことを置いておく思考のゴミ捨て場です。

形から入ってみようかな。

昔から、何でも形から入ることが多かった。

 

「これ読んでたら他よりカッコいいかも。」

「これ趣味にしたらセンスあるかな。」

「こんな言葉知ってたら頭良さそうかな。」

 

今好きな本や、自分の趣味や、言葉の使い方の多くは、こんな風に考えてきた結果なのかも知れない。

 

その根底には、自分がどうしたいかより、

「他人からどう見られたいか。」

の方に重きを置いていたからかも知れない。

 

他人のことはわからないけども、

だいたい世間一般の人はそうなんじゃないかと勝手に思っている。

 

だからこそ、自分が「良い」と思った物や事柄を自身の周りに纏う人を羨ましく思ったし、カッコいいと思っていた。

自分自身の「好き」が、不純な、陳腐なものに感じていたんだろう。

 

そんな自分でも、

「なぜかわからないけど、好き」

という思いを最近よくするようになった。

からしたことはあったけど。

 

もちろん、歳をとって考え方も変わっただろうけど、それ以上に、周囲の目を気にしなくなっていった事が大きいのかもしれない。

そして、「自分が本当に好きなものは何か」

を判断するに十分な経験が、これまででできていたんだろうと。

そんな風に感じる。

 

今思えば、「何か」を好きになったり、興味を示す理由に、貴賎はないだろうと思う。

 

どんな動機で、誰からの影響であれ、興味を示した物事は、確実に自分に影響を与えるし、その末に「自分」を作り上げる手助けをしてくれる。

「誰かにどう見られたいか」

それも、

「自分がどうなりたいか」

を思い描いていることと同じで、

自分を作り上げる過程の一つなのだろう。

 

形から入った小説は、今では確実に自分の趣味と言えるし、それを読んでいることをステータスにしたいとは思わない。

「自分が好きだから好き」

いつのまにか、そう思えるようになっていた。

 

昔、形から入らない人をカッコいいと思ったのは、「自分が好きだから」というスタンスで判断していたことに対してなんじゃないかと感じたり。

 

だから、理由なんて考えずに、

カッコいいと思ったら試してみようと思う。

 

興味を持つ理由は、

「カッコいいから」

で十分かもしれませんね。

 

 

今日はこの辺で。